My Story ~私と労働組合⑥~
仲間とともに発信 働き続けられる環境を作りたい

コロナ病棟へ応援に

大阪はびきの医療センターで看護師をしています。はびきの医療センターでは、ダイヤモンドプリンセス号でコロナ感染が発覚したときからコロナ患者の受け入れをしてきました。最大で3つの病棟(軽症~重症患者 計65床)で対応していました。現在も1病棟(40床)でコロナ患者を受け入れています。私は小児科病棟勤務でしたが、看護師が足りないため、コロナ病棟へ応援に入っていました。

第6波の今年2月頃は、高齢者や認知症の方が多く、食事や口腔ケア、オムツ交換など、説明・声かけをしても受け入れてもらえないことばかりでした。点滴や鼻からのチューブ(経管栄養)も自分で抜いてしまったり、ベッドの周囲を動き回ったり、医療者への暴言や暴力も日常的にありました。そのため、一人の患者に対し数人の看護師で対応しなければなりませんでした。最低限の人数にも足りていない状況でしたので、一人ひとりのケアが十分にできないもどかしさがありました。

昨年第4波のときには、大阪府の入院フォローアップセンターからの入院要請を受け入れることができずに断ったことがあります。そのとき、フォローアップセンターの医師から強い言葉で批判されたこともありました。双方とも命を守るために必死だということは理解していますが、当時はやりきれない思いでいっぱいでした。

誰かの役に立ちたい 看護師への道を歩む

私は兵庫県の田舎で育ちました。貧しかったので、小学校のとき毎日同じズボンで過ごしていました。週末になると自分で洗濯してきれいにしていたのに、同じクラスの男子から「いつも同じズボンやな」とからかわれていました。でも、朝から晩まで一生懸命働いている親の姿を見ていると、新しいズボンを買ってほしいとは言えませんでした。いつも自分に自信が持てない子ども時代を過ごしました。そんなとき母親に「女性も手に職を持ったほうがいい」と言われたことがきっかけになり、こんな自分でも変われるかもしれない、誰かの役に立てるかもしれないと思い、看護師への道を歩み始めました。

就職して結核病棟で勤務していたとき、担当の患者さんが亡くなるケースが続いたことがありました。自分が何かミスしたのではないか、観察を怠ってきたのではないか、自分は看護師に向いてないのではないかと落ち込みました。そのとき、労働組合で活動していた先輩に「あなたが悪いんじゃないわよ。あなたじゃないといけないっていう患者さんもいるじゃない」と声をかけていただきました。その言葉を聞いたとき、「患者さん一人ひとり、いろんな人生を歩んで、ここに来ている。人はいつか亡くなる。けれど、それまでどう生きていくかという場面に少しでも関わることができる。私たちの仕事ってなんてすごいんだろう」と思うことができ、看護師の仕事を誇らしく感じることができました。

これまで多くの仲間に支えられてきました。しかし、働き続けることができず、去っていった仲間もたくさんいました。昨年、コロナ病棟担当の若い看護師が「もう無理です」と言って辞めていきました。

私たち看護師は誰もがみんな、患者さんのために良い看護を提供したいという思いで働いています。みんなが安心して働き続けられることで、質の高いより良いケアが提供できます。

過酷な医療現場は、誰かが良くしてくれるわけでもなく、勝手に良くなるわけではありません。現場から発信していかない限り声も届きません。これからもさまざまな職種の仲間とともに働き続けられる環境を作っていきたいです。

▼組合加入はこちらから▼

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